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  3. 第88回 伴侶動物と暮らすこと 数十年前からの当院の周辺犬猫事情

にゃるほど犬猫塾

犬や猫たちの暮らしやしつけ、健康などについてご紹介します。

no.88

犬や猫と暮らすということ

伴侶動物と暮らすこと
数十年前からの当院の周辺犬猫事情

2023年の2月までにゃるほど犬猫塾を担当させていただいていた柴内裕子獣医師はお陰様で今も元気にアニマルセラピー活動、診療、執筆活動などに心を燃やしていますが、高齢になりましたので、にゃるほど犬猫塾のお仕事は娘の柴内晶子(獣医師)が引き継がせて頂く事になりました。にゃるほど犬猫塾の皆様、お声をかけていくださったことに感謝申しあげます。

また、当院(赤坂動物病院)は皆様のお陰様で開院60周年を迎えました。開院当時から数世代にわたって御通院頂いている患者様ご家族もいらっしゃり、こうして診療を続けさせていただいていることに心から感謝申しあげます。

60年前の日本の伴侶動物医療は今とは大きく異なるものだったと思います。私が幼少の頃には猫は東京都心でも屋内外を行き来して生活するのがあたりまえで、犬は大半、外で暮らしていました。東京の街も今とは様相が大きく異なっておりましたので、少しのどかで、様々なことが少しのんびりとしていたと思います。

私共の動物病院は60年+?年の開業当時から東京最古のメトロである地下鉄銀座線(1927年開業)の赤坂見附駅を最寄りとする場所にありました。私が記憶している時代でも近隣の一ツ木通りにはお豆の計り売りのお店や、生活必需品の雑貨店、乾物屋さんなどもあり、個人経営のスーパーもあり、地元の子どもが集う駄菓子屋さんもありました。当時は今のTBSの前に国際自動車の教習所もあり、今の都会化した街並みからは考えられない風景でした。再開発前の赤坂は名前の通り坂の多い町ですので小高い丘があり、今のTBSの昔の社屋の間には青山通りに抜けられる道があり、その周辺は森のようになっていました。そのあたりには「猫山」といわれる外の猫が暮らす場所があり、沢山の猫達が地元の人に簡便な雨露をしのげる家を作ってもらい、養って貰って暮らしていました。時には迷い犬もいて、数頭の雑種の中型犬たちが当院にも連れてこられ、いわゆる病院の犬として生涯を全うしてこともありました。

今にして思えば、地域猫と保護犬たちでしたが当時は猫がそこに暮らしているから隣人が助けて面倒をみる、犬がひとり歩きをしているので保護するというシンプルな感覚で成り立っていたと思います。

当時保護された 
左がスーパー君 右がステファンさん

今は外の猫の事も保護犬猫のことも随分考え方が整理され、様々なレスキュー団体も増え、以前に比べたら行政も地域の犬や猫に事に真剣に対応して頂けるようになってきました。まだこの先の発展が大変重要な分野ですが、伴侶動物が人と過ごす事で双方が得られる素晴らしい良い効果(人と動物の絆)もより多くの人々に知っていただき、公共機関に伴侶動物が普通に乗れるあたりまえの光景もみたいですね。徐々に変わって行くと良いと思います。いつの時代にも私たちの暮らしの側には犬と猫に代表される伴侶動物は存在していたと感じます。

世界的には犬との暮らしはおよそ3万5千年前、猫との暮らしは約1万年まえと言われます。そのような長い間私たちは常に伴侶動物(犬、猫、馬、うさぎ、鳥など)と共に暮らしを紡いできたことを考えますと、どう考えても必要な存在だったのだと感じます。

この数十年で私たちの世界はテクノロジーの発展で大きな変化を遂げ、AIの出現でさらに大きくシフトしていくのだと言われていますが、人と動物の絆はいつまでも変わらずに存在していくと思います。

犬と猫と人とのお話を「にゃるほど犬猫塾」で少しずつ進めさせていただけましたらと存じます。

どうぞ、よろしくお願い申しあげます。

profile

柴内晶子先生(獣医師)

赤坂動物病院 院長

伴侶動物医療の現場で、「人と動物の絆」〜Human Animal Bond〜を大切にした診療を行っている。 (公社)日本動物病院協会のアニマルセラピー活動であるCAPPへの参加推進を行い、社会活動として東京青山ロータリークラブでのアニマルセラピー活動を通じた社会奉仕活動を定期的に実施。心の窓をひらく「じっとみて」ワークショップには、未来育ティーチャーとして参加している。 日本大学では、非常勤講師として獣医倫理福祉の講義を行う。 様々な獣医事関連の委員会活動に従事し、日本大学外科学研究室の学部研究生として獣医再生医療にも積極的に取り組んでいる。