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2019.6.18 / ソニー・ナカイ(グラフィックデザイナー、在フィンランド) フィンランドの建築家Riitta Salastie ヘルシンキ近郊の大学都市にある住まいに伺いました

リータの住まいへ

さて、大学のメイン講堂をランドマークとして眺めて、リータの住まいまでは徒歩5分。大学キャンパスに並ぶような魅力的な住居です。キャンパスを隔てる道路を渡ると、長く白い壁の4階建て集合住宅が続きます。このコンドミニアムは、フィンランド建築界の巨匠シレン夫妻(ヘイッキ・シレンと妻カイヤ・シレン)の共同設計を行ったものです。大学の礼拝堂と同じ建築家ですね。そのコンドミニアムのエントランスから入り、彼女の住まいは最上階にありました。ワクワクしながら住戸の小さな玄関に入り、コートを壁のハンガーにかけると、その左側はリビングです。60平米の住戸は、キッチン、リビング、寝室の3室に別れていますが、それぞれの部屋境にドアはなく、自由な空気が流れるような魅力的な空間です。ベランダに沿って3室が続き、窓に向って天井が傾斜するせいか、ロフトを連想しました。アーティストに似合う雰囲気です。窓の向こうに朱色レンガ造りの校舎が立ち並び、キャンパスと樹木に囲まれた落ち着いた居住環境です。

リビングの白い壁面に本棚が並び、その先にはベランダにつながる大きな窓が続きます。左手側は小さめのキッチンに続く幅1mくらいの通路ですが、ドアはありません。リビングからキッチン内部は見えないので、ドア不要という設計でしょう。右手側の通路はベッドルームにつながります。どの部屋にも、ベランダから豊かな陽射しが差し込んでいました。窓近くに置かれたテーブルに自然の光の暖かさが溢れて、朝のコーヒーの香りを想像してしまいました。
窓を背にしてリビングの奥を見ると、右側には先ほどの小さい玄関が続いています。写真では、天井の傾斜が目立ちませんが、ソファのある奥のアルコーブは天井高さが1.7mくらい、ベランダ側の窓際は2.6mなので、1mくらいの傾斜により、少し風変りな雰囲気が感じられました。最上階のメリットかもしれません。
部屋の間口幅に合わせた横長のベランダは、夏の太陽を浴びる最高の場所であり、豊かさを感じます。手摺の向こうに見える朱色レンガの建物がアールト大学の校舎ですから、まさにキャンパスと一体の印象。フィンランドは市街地でも騒々しくないのですが、静かな大学につながる生活環境は安心感があります。アールト大学という知的な雰囲気は、生活の中にも感じられます。
リビングに左隣の部屋はキッチンですが、間仕切りドアはありません。ドア無しで行き来できるので、自由で動きやすい動線という設計者の意図を感じ取りました。キッチン奥の薄い水色のドアは、住居内にたった一つのトイレのドアです。
3つ目の部屋はベッドルーム。境目はカーテンだけで、ドアはありません。壁に沿うスペースは、物置きスペースでもあり、カーテンで隠せば、余計なものは目立ちません。
彼女が得意料理のカレーライスを用意している時に、テーブルセッティングを撮影しました。日本の藍染生地が、この部屋に素晴らしい調和をもたらしています。1970年代は、日本の食品は入手困難で、栄榮久庵憲司先生(1918-2015)デザインのキッコーマンの赤い蓋の醤油卓上瓶だけでした。もう、そんな不便さはなく、枝豆もスーパーで買えるし、日本料理を幅広く味わうことができるようになりました。新鮮な野菜も多いので、キュウリとワカメのショウガ添えの酢物もできるような時代になりました。
三日月型の下敷きと円型トレーに、月の満ち欠けをイメージしました。右側のティーポットはイッタラの製品で、やはり日本を連想します。
彼女の手作りカレーライスの味に思わず、「おいしい」の言葉が出ました。
中央の入れ子式テーブルはアールトデザイン。重ねてコーナーに置きます。高さの異なる小机の便利な使い方。
右端のトトロのお腹の様なランプが、さりげなく床に置いてありました。
嵯峨御流の華道師範免許も得て、日本大使館の女子スタッフに生け花を教えています。
棚の横に数本の素晴らしい筆が並び、その太筆には魅了されました。リータは書道の心も習得し、筆による自由な表現を続けています。写真の作品には「心月」と書きました。

日本文化への興味は幼い頃から続いて、「華道師範」となっても、熱意は変わりません。

1970年代の終わりころ、私は19歳でしたが、日本文化に詳しい友人のEeva Raasteが私に華道に関する本をプレゼントしてくれました。グスティ・ヘリゲル(Gusti L. Herrigel)女史の著作 Zen in the Art of Flower Arrangement(英語版)の「禅と生け花」という本をきっかけに、私の人生から、華道は離れることのない永遠の絆が生まれました。
それ以来、京都の相国寺で華道の勉強をする夢が大きく膨れ上がったのです。そして10年後の1987年に日本における臨済宗五本山の1つである相国寺に入門することが認めらました。
実はそれ以前から、私から切り離す事のできない有名な写真家 二川幸夫氏が撮影した日本庭園と建築にすでに魅了されていました。1990年代の初めに京都を訪れ、寺町を歩いている時、私の心に響く素晴らしい「書」を見つけました。そして書道の師となる田中心外先生(故人 元京都書道連盟会長)に出逢いました。彼は私に大面での創造的な書を学ぶことを勧めてくれました。上の写真は、私の初期の作品「心月」です。日本の冬を表しています。
「禅」の芸術は、私の心に直接語るものがあります。私が建築の中にも見ている非二元論的アプローチ、空虚の概念といえるでしょう。私にとって、幼時からの日本の芸術への興味は、複数のカルマ(業:Karman)によるものかもしれません。このすべてが、私の人生を非常に豊かで素晴らしいものにしてくれました。
私は以前、日本人だったのかもしれません。(リータ談)

(コメント)

親日家で京都にも長く住んだ経験のある建築家のリータ・サラスティエさんに、私は1993年に京都大学でお会いしました。以来、長い間の友人であるリータさん。書道や生花に深い造詣があり、ライフスタイルも個性的な彼女に、フィンランドへの留学と滞在中もいつも助けてもらいました。様々な建築も友人たちも紹介していただきました。

左端は彼女の1999年ヘルシンキ工科大学建築学位論文(An analysis of the urban conservation in Kyoto) 祇園祭の山鉾町周辺の研究成果です。中央のARABIAのキャンディボックスはソニーさんからのプレゼントと、フィンランド滞在中に自作した白樺材の小箱。右端はリータの書。私と友人たちのフィンランドメモリーです。
リータさんがヘルシンキで進行中のZendo Project のイメージを送ってくれました。彼女にとって、初めての建築作品が実現するのです。日本文化のエッセンスである「静けさと豊穣」が、フィンランド精神に寄り添いながら昇華するようです。久しぶりに、元気な笑顔に会えて、とてもうれしいです。お元気で、またお会いする日を心待ちにしています。
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(せきゆうこ フィンランドフォーラムコーディネータ)

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