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木造駅舎で快適生活

伝統と文化を受け継ぐ

2013.12.12 / ソニー・ナカイ(グラフィックデザイナー)

フィンランドの秋

みなさま、お元気ですか。フィンランドはいよいよ冷え込んで来ました。赤と黄色の落ち葉掻き風景が、冬の訪れを告げて、また日本の暖かさが恋しいシーズンになりました。
しかし、この秋のフィンランドは、とても綺麗な紅葉に恵まれました。田舎ばかりでなく、都会でも樹木に囲まれた住宅環境ですから、木々の色の変化は、季節が創り出す自然芸術の表現です。緑の夏、紅葉の秋、白銀の冬は都会の大通りでも、田舎町でも、どこにいても印象派の絵画のように広がっていきます。今秋は、10月中旬になって、一気に黄色と赤の風景に変わりました。写真撮影は10月14日、気温8度、快晴でした。

紅葉のシーズンとなり、公園も学校も歩道も落ち葉の絨毯が広がりました。

紅葉のシーズンとなり、公園も学校も歩道も落ち葉の絨毯が広がりました。

赤いのは西洋ナナカマド、黄色はメープルやシラカバが多いようです。

赤いのは西洋ナナカマド、黄色はメープルやシラカバが多いようです。

木造駅舎で快適生活

1862年に最初の線路が敷設されたのが、フィンランド鉄道の始まりです。そこには、外見は普通の住宅と少しも変わらない、木造の駅舎が建てられました。
1970年に、私は初めてフィンランドとロシアの国境に位置するフィンランド側の駅に降り立ちました。改札口の無い駅はきれいな庭に囲まれて、駅からは白樺の並木道が続いていました。ただ誰かの家の前に列車が止まった。そんな第一印象を、今でもはっきりと覚えています。

今日では、社会環境も交通機関も大きく近代化されてきましたが、ノスタルジックな木造駅舎の多くは改修されて、今でも現役の駅舎として使われています。忙しく動きまわる都市の中心部に残る木造の駅。そこで切符を買う時に、一時的にも、ストレスが消えるように感じます。木造であることが穏やかさを与えてくれるのでしょう。
庶民の思い出として価値のある木造の駅舎が、たとえ古くなっても、そのまま壊さずに、修理しながら維持している。素晴らしいと思いませんか。さらに、リフォームしても現代のニーズに合わなくなった駅舎でも、一般住宅としての保存価値を評価してもらえば、誰でも購入することができます。これは伝統と文化を受け継いでいくために、大切な心構えなのでしょう。

この写真は実際に古い駅舎を買って住んでいる人から送ってもらった写真です。この家族は、旦那さんは空手の黒帯、娘さんはオタク趣味、奥さんは日本料理ファンという一家で、旧駅舎住宅の暮らしを楽しんでいます。柴犬を飼っていて、家族で日本を訪れた時には、柴犬コンテストに参加したと話してくれました。こんな身近な日本ファンが増えてきたこともうれしく思います。

この写真は実際に古い駅舎を買って住んでいる人から送ってもらった写真です。
この家族は、旦那さんは空手の黒帯、娘さんはオタク趣味、奥さんは日本料理ファンという一家で、旧駅舎住宅の暮らしを楽しんでいます。柴犬を飼っていて、家族で日本を訪れた時には、柴犬コンテストに参加したと話してくれました。こんな身近な日本ファンが増えてきたこともうれしく思います。

左の写真はヘルシンキ郊外にあるパシラ駅の古い建物でした。この辺りは40年前には穏やかな郊外住宅地でしたが、社会環境が大きく変化して、右写真のような近代的な新駅に変わりました。古い駅舎はパシラ市が買い取って、駅構内から移築して、現在は一般への貸し出しやイベント会場として使われて、昔、ここから通勤した日々を思い出しながら、大事に保存活用しています。新パシラ駅の後方1キロに、フィンランド最南端に位置するヘルシンキ中央駅があります。その歴史的な駅周辺地区は再開発せずに、パシラ駅で西、北、東の各方面への路線が分かれ、フィンランド全国の鉄道網がつながっていきます。パシラ駅周辺では、高層ビルなどの近代的な都市計画が進められています。

左の写真はヘルシンキ郊外にあるパシラ駅の古い建物でした。この辺りは40年前には穏やかな郊外住宅地でしたが、社会環境が大きく変化して、右写真のような近代的な新駅に変わりました。古い駅舎はパシラ市が買い取って、駅構内から移築して、現在は一般への貸し出しやイベント会場として使われて、昔、ここから通勤した日々を思い出しながら、大事に保存活用しています。
新パシラ駅の後方1キロに、フィンランド最南端に位置するヘルシンキ中央駅があります。その歴史的な駅周辺地区は再開発せずに、パシラ駅で西、北、東の各方面への路線が分かれ、フィンランド全国の鉄道網がつながっていきます。パシラ駅周辺では、高層ビルなどの近代的な都市計画が進められています。

写真はヘルシンキから100キロ北に位置するリーヒマキ駅。リンゴの木の下に赤い実が落ちていて、拾い放題でした。右の厚い銘鈑には、1870年にリーヒマキ駅から旧ソ連時代のレニングラードへの鉄道が開通した歴史が刻まれています。フィンランド語とロシア語の表記があります。

写真はヘルシンキから100キロ北に位置するリーヒマキ駅。リンゴの木の下に赤い実が落ちていて、拾い放題でした。右の厚い銘鈑には、1870年にリーヒマキ駅から旧ソ連時代のレニングラードへの鉄道が開通した歴史が刻まれています。フィンランド語とロシア語の表記があります。

首都ヘルシンキから北へ15キロにあるティックリラ駅の駅舎はがっしりした印象の煉瓦造でした。昔のままの形を残して大事にリフォーム続けてきました。今では市立博物館として市民に親しまれています。

首都ヘルシンキから北へ15キロにあるティックリラ駅の駅舎はがっしりした印象の煉瓦造でした。昔のままの形を残して大事にリフォーム続けてきました。今では市立博物館として市民に親しまれています。

(写真左) ティックリラ駅からさらに10キロ北にあるケラバ駅は、今日でも現役の木造駅舎です。でも、都市計画が進み、近代的な駅に改築される日が、いつか来ます。その時、懐かしい駅舎は、住宅として売り出されるか、市民の希望があれば、公共施設として再利用されることでしょう。(写真右) 右の写真は、やはりヘルシンキから10キロの近郊に建つ、オウルンキュラの駅です。これも昔ながらの木造駅舎で、二階建てですから、十分大きな住居として使えそうですね。暖炉の煙突もたくさんあります。

(写真左) ティックリラ駅からさらに10キロ北にあるケラバ駅は、今日でも現役の木造駅舎です。でも、都市計画が進み、近代的な駅に改築される日が、いつか来ます。その時、懐かしい駅舎は、住宅として売り出されるか、市民の希望があれば、公共施設として再利用されることでしょう。
(写真右) 右の写真は、やはりヘルシンキから10キロの近郊に建つ、オウルンキュラの駅です。これも昔ながらの木造駅舎で、二階建てですから、十分大きな住居として使えそうですね。暖炉の煙突もたくさんあります。

可愛らしい赤土ペイント塗の木造駅舎は、ヘルシンキから北へ170キロ、フォルサ近辺にあるミンキオ村の駅です。愛らしい妖精の家みたいですね。暖炉に薪をくべながら夜のひと時を楽しむ妖精たちを想像すると、たまらない気分になります。

可愛らしい赤土ペイント塗の木造駅舎は、ヘルシンキから北へ170キロ、フォルサ近辺にあるミンキオ村の駅です。愛らしい妖精の家みたいですね。暖炉に薪をくべながら夜のひと時を楽しむ妖精たちを想像すると、たまらない気分になります。

私の事務所のある四万人の都市ヤルベンパーの駅も木造です。切符の自動販売機は、めんどうな選択項目を次々と決定して、やっと1枚の切符が買えるものです。使い慣れていない人は、駅内の切符売り場で、昔の様に国鉄のユニフォームを着た女性から切符を買っています。

私の事務所のある四万人の都市ヤルベンパーの駅も木造です。切符の自動販売機は、めんどうな選択項目を次々と決定して、やっと1枚の切符が買えるものです。使い慣れていない人は、駅内の切符売り場で、昔の様に国鉄のユニフォームを着た女性から切符を買っています。

鉄道切符の謎

このように、フィンランドの鉄道駅は花壇に囲まれた住宅と同じような外観です。なによりも改札口がなく、誰でも切符なしで電車に乗れます。でも、有効な切符がなければ、罰金を払わなければなりません。その金額は80ユーロですから、約一万円ちょっとの罰金です。乗る前に駅で切符を買わずに乗っても、車内で車掌から買えますが、車掌は検札しません。それは車掌の業務ではなく、検札員の仕事であり、不定期に見回っています。このように、うまくいけば無賃乗車できる環境は、ヨーロッパの都市交通機関ではよく見かけます。
国の政策として国民の正直さを試しているのでしょうか。それともタダ乗りできる環境でも、タダ乗りしない正直さが、ここで育まれているのでしょうか。統計によると、無賃乗車率は約4%とのことです。4%であれば、別に大きな予算をかけて全国の駅に改札口を作ることは無駄なのかも知れません。私にとっては、依然として謎めいた世界です。