金沢から神戸に近い伊丹で
「由多加織」製造工場を建設
近代化のために殖産興業が推進された明治時代。元金沢藩士だった寺西家の長男の豊太郎は、米産地の金沢で大量に放置されていた稲わらを再利用する新産業に挑戦。1887年(明治20年)に平織織物「由多加織」を完成させます。この床敷物は、日本文化への関心が高まっていた海外でも注目を集めますが、輸出にあたって大きな難関がありました。輸送を人馬に頼るしかなかった当時、生産地の金沢から出荷港の神戸までの運搬費で利益を見込めなかったのです。そこで豊太郎は、神戸に近い伊丹の地で起業することを決意。1891年(明治24年)に寺西由多加織合名会社(後に由多加織合資会社に改称)を設立し、寺西家一族とともに移住してきました。このときに兵庫県川辺郡伊丹村(現在の伊丹市)で建設された製造工場が、ここ東リ伊丹工場の原点となります。
日本近代建築の
先駆者「渡辺 節」と
「東リ インテリア歴史館」
渡辺節(1884~1967)は、東京帝国大学にて建築学を専攻し、卒業後は鉄道院に勤務。京都駅などの設計を担当しました。1916年に独立してからは多くの秀作を残し、大阪商船神戸支店、日本興業銀行本店をはじめ、アメリカ流の合理性を踏まえた建築を得意とします。日本近代建築の先駆者的役割を担い、その生涯を通じて村野藤吾ら数々の建築家を育てました。大阪府建築士会初代会長(1952~1966)も務めています。
この「東リ インテリア歴史館」は、渡辺節が30代半ばに設計した東リの本館事務所です。完成したのは東リ創立の翌年である1920年。半切り妻造りで柱や梁を外部に露出させたハーフティンバー様式で、幾何学的模様に装飾された庇付きの玄関が特長です。